気まぐれ日記 2020年3月

2020年2月はここ

3月1日(日)「実感できない朔日(ついたち)・・・の風さん」
 月はあらたまったが、今日は日曜日。昼頃起きていることもあるが、何となく、今日という日「朔日」が実感できない。
 特殊雑務として、冷蔵庫の後ろの壁のコンセントから電源をとるようにして、リビングのコンセントがスッキリした。コンセントの改善はこれで目的達成である。現在、リビングのコンセントには2つ接続があるが、季節のものであり、今後、外すことになる。そうなると、このコンセントには何もつながっていない状態になる。かつて6本の接続があったわけだから、大幅改善である。さすが元トヨタGということだ。会社人生は無駄ではなかった(笑)。
 その後、食事。そして、ルーチン。
 ワイフが帰って来たので、夕方のおやつタイムになった。
 準備してきた確定申告は、いよいよ明日、税務署まで行って提出する。最終点検を兼ねて、不安だったところをチェックしていたら、またミスを発見した。赤字だったことが原因のミスで、手引き(マニュアル)を再読して、間違いに気が付いた。提出書類の印刷も不足があり、落ち込みそうになった。来年の確定申告へ向けて、基本データの整理は当然だが、提出直前の入年がチェックが必要だというのが、今年の反省点である。やれやれ。
 おまけだが、個人通帳の銀行届出印が見付からなくなった。ボケ対策で、重要な物は置き場所を決めてある。あちこちに気まぐれで置くことはない……はずだが、見付からないものは見付からない。開き直っている場合ではない。最終的には発見できたが、原因は不明である。
 読書の時間がなくなってしまい、執筆を再開した。昨日から比較的調子が良いのだが、冴えている分だけ、修正が多い。結果として、あまり進んでいない。ただし、内容はしっかり修正されている。
 新型コロナウィルス感染症は、相変わらずだ。今くらいの状態で推移している場合、それはピークで安定、やがて減少につながると言えるのだろうか。明日ぐらいから、自分自身の行動計画も、再検討することになる。

3月2日(月)「確定申告書の提出・・・の風さん」
 午前5時就寝、12時起床のいつも通り。今日も天気は好い。しかし、こういう日は花粉症が要注意なので、症状が出たらすぐ抗ヒスタミン剤を服用する。
 月初のルーチンの一つ、1、2階の洗面所のパイプクリーニングをおこない、朝昼兼用の食事をして、キャメロンで出発。
 やっと確定申告を提出できる。昨年も自分で持って行ったので、楽勝と思っていたら、税務署を通り過ぎてしまった。進行方向右側にあるので、ちょっと見にくいし、片側2車線道路を信号のない場所で右折するのはやや大変でもある。ぐるっと回って、今度は左折で入った。何となく空いている感じがする。ポストに入れると同時に、案内の人に e-Tax の質問をしてから外へ出た。来年からは e-Tax にするかもしれない。なぜなら青色申告特別控除額が、紙だと10万円減額されるらしいから。
 続いて、大型家電量販店に行き、複合機のインクカートリッジを1セット購入し、隣接するホームセンターで物色してあった小型シーリングライトを購入した。デマに踊らされてトイレットペーパーをたくさん購入しているおばさんが何人もいたが、全体に買い物客は少ない。日本全体がこういう状態だろう。はたして2週間の外出控え努力で、感染拡大を抑制できるだろうか。現状維持が精いっぱいのような気がする。そして、4月になると、また人の往来が活発になり、拡大再開。気候が良くなるにつれて、沈静化するという天の恵みを期待するしかない。
 最後は、UFJ銀行だったが、窓口が閉まってしまい、引き落とし解約の相談ができなかった。ATMだけ利用して帰宅した。
 ワイフも帰宅していて、珍しく丘の上のケーキ屋さんへ行こうと誘われた。行ってみて、びっくり。ウィークデーなのに、客がいっぱい。近所の客はうちぐらいで、きっと遠くから来るのだろう。このあたりはまだ感染症で汚染されたという報道がないので、安心して来るのだ。今日のケーキは遅いバレンタインとのことで、おごってもらえた。ラッキー。
 少し疲労気味で、読書は半分(ただし、読了した吉村昭さんの『彰義隊』には深い感銘をおぼえた)、執筆再開は午前2時過ぎで、難しい修正作業を続けた。

3月3日(火)「ちび助がまた体重増・・・の風さん」
 午前5時就寝、12時起床。ストレッチ後、散歩を兼ねて投函に行ってきた。これで約千歩。
 月初のルーチンの一つ、1、2階の鏡(実はとても大きい)を拭いた。
 食事後、玄関の壊れた鍵の分解に再挑戦。前回は途中までしかできなかった。いくつか見たネットの動画では簡単にできることがわかっている。しかし、我が家の鍵は、それらと構造が違っていた。無理に外そうとして、鍵ケースを変形させてしまった。とまれ(ともあれ)分解できた。分解したことで、壊れていたのはケースではなく、シリンダー本体だということがようやく分かった。勉強になった。続いて、各種寸法をチェックして、型式を特定する作業をおこなった。これは詳細説明のあるWebsiteを活用した。特定できたので、このショップで買うことにし、発注した。近日中に届く。
 大きな課題(鍵の故障)が一つ解決に向かって前進したので、気分は上々。ちなみに、我が家は玄関には、もう一つ鍵がついているので、無施錠状態ではない。念のため。
 夕方からちび助を病院へ連れて行った。予想はしていたが、また体重が増えた。今夜は、主治医でなく、もう一人のお世話になっている先生に診てもらったが、驚いていた。1年前の体重に戻っただけでなく、その前の体重まで増えても全然問題ないと言われたので、今のペースを受け入れることにした。うまくいけば、今月中に、標準的な体重になりそうだ。
 来週の上京スケジュールに関し、2件目の調整をおこなった。延期することにした。これで、あと2件、出版社の打ち合わせをどうするかが残っている。政府がいう正念場の半月が過ぎても、現状維持が良いところだと思う。その後も、対策が継続されると考えて、今から準備しなければならない。

3月4日(水)「細分化考・・・の風さん」
 午前6時就寝、12時起床。
 今日の特殊雑務は、月初ルーチンのガスコンロとレンジフードの清掃。だいぶ慣れてきた。これが終わってから食事。
 色々やったあとなので、さあ書斎へ、と思った時はもう午後2時である。
 来週末のための調整も並行して続けている。とりあえず、上京は延期することになる。次の上京タイミングをいつにするかが微妙なところだ。できれば2週間後くらいにしたいが、すべての用事をそこに集中させるのは無理だ。今度は分散させることになるだろう。
 分散といえば、細分化という言葉もふと頭によみがえる。現役時代は、色々なビジネス用語が使われていて、気に入って使うものは少なかった。やはり自分の根っこに芸術家肌みたいなものがあって、合理的、効率的な作業を嫌っていたからだろう。でも、実際には、言葉にはしなくても、そうやって業務を進めてきたのは間違いない。それに加えて、オリジナルのアイデアや柔軟な工夫そして大胆な決断を組み合わせて、仕事を楽しんでいた。
 細分化に話しを戻すと、これは故大野先生の姿から見て学んだことだ。やはり高齢化すれば、若い時と同じようにはいかない。しかし、難しいことでも、少しずつ積み上げていけば、時間はかかるが、最後はゴールにたどり着ける。それを定年退社後は、私も心掛けているわけで、ビジネス用語で言えば、業務の細分化である。これが過ぎると、細分化した業務を多くの担当者に振り分けて、分担化することもあるが、達成感の問題がある。細分化しても、自分ですべてやりきりたい。
 夕方から読書タイムに入り、やがて執筆へ。時間がかかるが、こつこつやっていくしかない。

3月5日(木)「シリンダー錠の交換・・・の風さん」
 午前5時就寝、12時起床。外は強風が吹き荒れている。
 先ず、JP分局へ行き、送金などをしてから、JAへ回って、ATM処理して帰宅した。その後ワイフと食事。
 Webカメラ2台の再設定は失敗した。明日へ順延。
 ルーチンを片付けているうちに、夕方になり、発注したシリンダー錠が届いた。強風はまだおさまっていなかったが、早速組み付けに取り掛かった。分解した時、錠ケースを変形させたので、ケースがきれいにおさまらない。それでも、何とか、屋内外の部品を合わせて、ねじで固定できた。電動ドライバーを使ったので、ねじ締めは楽だった。防犯のために、やたらとねじのかみ合う部分が長いので、電動ドリルは必須だね。……と、自己満足したのも束の間、屋内の部品の取り付けを90度間違えた。寒いので直すのは明日にする(笑)。
 晩ご飯がスパゲティで、輸入もののスープも出たので、オーストラリア土産のドライフルーツ入りビスコッティをつまみに地元酒蔵オリジナルワインを飲んだ。すごくお洒落な食事になった。しかし、例によって酔ったので、仕事再開は1時間ほどずれ込んだ。
 何が何でも、明日の夕方、途中原稿を送るのだと、ずっと頑張ってきた。先週の始めからパタッとペースが落ちて、そのまま今日まで来てしまった。何とか、苦戦している節を仕上げて、途中原稿でも送りたい。
 そう思って、深々と更ける中、執筆を続けた。

3月6日(金)「会社の先輩の訃報・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時半起床。昨夜は思ったところまで執筆が進まなかった。
 玄関の鍵の屋内側の部品を90度回転させて、本来の位置に再組み付けした。電動ドリルを使ったので作業は早かった。これで、基本的な鍵やドアノブの交換の自信がついた。次に狙っているところがある(^_^)。
 Webカメラの再設定にまた挑んだ。取説があるので、必ずできるはず、不安はない。それでも昨日は失敗した。原因は不明。それが唯一の不安材料だった。やや手こずったが、2台とも再設定が完了した。玄関のカメラは今の位置で良いが、もう1台はやや問題がある。ガラス越しのため、夜間、視界が悪くなるのだ。良い案が見付かるまで、設置場所は保留。
 食事後、さっさと書斎へ直行し、執筆の続き。夕方までに出版社へ送りたい。
 ところが、何か起きるのが世の常。会社の先輩の訃報連絡があった。それほど高齢ではない。公私とも働き過ぎだったのではないか。仕事はきちんと完璧にやるタイプ。会社末期は、ご両親の介護が大変だった。定年再雇用も終えて、あとひと息で楽になるはずだったが、限界だったのかもしれない。長年お疲れ様でした。合掌。おっと、明後日、名古屋で通夜なので、弔電を送ることにした。ささやかな弔電だが、それでも6千円を超えた。これなら名古屋まで行った方が良かったのかもしれないが、新型コロナウィルス感染症の問題もあるので、外出はしない方が、お互いのため、公共のためと思うことにした。あらためて、先輩のご冥福をお祈りします。合掌。
 その後、ほとんど休むことなく執筆を続け、とりあえず途中だが目標地点までたどり着いた。バタバタとメール送信を終えたのは、午後6時過ぎだった。
 依然として新型コロナウィルス感染症の拡散が続いている。もう日本人間の感染である。現場感覚のない専門家からクラスターなんぞという理屈で説明されているが、大事なことは具体的な対策と補償だ。クラスターが起こるのは、屋台船、スポーツジム、ライブハウスだけではないのだ。当面学校を休校にしたのは正解で、学会や大学関係、企業関係は自主的に次々と手を打っている。大きなイベントやスポーツイベントも自主的に行動している。問題は、一般庶民が普通に行動している中に、クラスター(いちいち書きたくないが、これは葡萄の房という意味の英語が一般的で、今回は学問的な使い方をしている。そのため、よけい一般庶民には分かりにくい)を形成するものがたくさんあるのだ。筆頭は家庭である。一人暮らしではなく複数の家族で暮らすハウス、マンション、アパートが、屋形船、スポーツジム、ライブハウスと同じなのだ。一人でも感染した家族が帰宅して家族と濃厚接触すれば、感染は広まる。屋外で注意することと同じことを各家庭内でも励行しなければならないのだ。そういったことに警鐘を鳴らしている報道を見たことがない。こういう時に、幸運にも、洗面台の下から、エタノール入りハンドウォッシュのストックが3個も見つかった。屋外から帰宅した時に使う専用にしよう。

3月7日(土)「感染症の影響・・・の風さん」
 午前4時就寝、11時半起床。
 今夜から雨になるので(雨が花粉のようにウィルスを流してくれないものかなあ)、今日は外の仕事をする。 
 ドラッグストアで割引券を使って薬を買おうと思ったら、5月まで特価になっていた。特価品は割引券が使えないので、次回来店するときに買うことにしてパス。続いて、ホームセンターへ向かった。土曜日で天気が快晴なので、観光客がちゃんと来ている。当地は比較的田舎で、まだウィルスで汚染されていないと見られているようだ。しかし、観光客の中に感染者がいたら、当地も汚染される。そうなると観光局も来ない。負のスパイラルになる。
 ホームセンターでは2つの目的物があったが、1つは見当たらなかった(感染症とは関係ないもの)。もう1つは砂利である。先月に続いてひと袋購入した。
 帰宅してすぐ、砂利を裏の駐車場の出入り口に撒いた。どうしても草が生えない部分があり、雨になるとぬかるむ。出入りで公道が汚れる。クルマのタイヤも当然汚れている。知人に1台分無償で貸しているのだが、その対策で、撒いたのだ。
 今月は友人が来宅する予定が2件あった。今日どちらもキャンセルになってしまった。
 1件は、元同僚で、風邪気味だからと遠慮したのだ。当面、具合の悪い人は自宅で療養である。難しいのは、濃厚接触する家族が出入りして良いかという話だ。理屈から言えばノーだ。一緒に自宅でおとなしくするのが正しい。しかし、現実は難しい。そうなると、一緒に暮らしていても濃厚接触を避けること。具合の悪い人は、家庭内でもマスクをするとか、特定の部屋から出ないとか、食事も一人で摂るとか、そういった話だ。しかし、こういう具体的なやり方について、議論されていない。現場任せと同じである。あと、現実として、暮らしていくために、具合の悪い人以外は、働きに行くだろうし、買い物にも行くだろう。それをどうするか。気が遠くなるほど難しい。
 もう1件は、元同僚家族で私たち夫婦が仲人もやった。元同僚はインドに赴任中だが、4月から奥さんと小さい方の子どもがインドへ旅立つことになっていたので、その前に、拙宅に挨拶に来ることになっていた。それがどうなったか。書くまでもない。元同僚は家族を迎えるため、一時帰国する予定ができなくなった。奥さんと子どもはビザが無効になったので、インドへ行けない。向こうで暮らすための荷物は既に発送してしまった。子どもは学校が中断するので、その処置も終わっていた。拙宅へ挨拶に来るどころの騒ぎではない。
 国民一人ひとりが、色々な場面で影響を受けている。しかし、もっと徹底した対策をとらなければ、中国よりも悲惨な状況になってしまう。なぜなら中国は日本よりも行政が強引なことができる。それでも、あの状況なのだ。ボーっと生きてんじゃねえよ、とチコちゃんに叱られる。

3月8日(日)「天気をみながら行動・・・の風さん」
 午前4時起床、11時半起床。昨夜からの雨がまだ激しく降っている。就寝直前に裏の土地に駐車しているクルマが出て行った。出漁らしい。私が起きたころにはもうクルマがあった。運が良いとお裾分けにあずかれる。……と思っていたら、来た〜! また蟹と魚をいただいた。無料で駐車してもらっているのだが、もらいすぎ〜(^_^)。申し訳ない。どんなに食事が助かっていることか。いや、そうではない。買ってまで食べられない贅沢を味わうことができている。感謝以外の何物でもない。ひたすら感謝。
 とにかく今日は日中雨のはずなので、屋内の雑務しかやらない。時間もあまりなかったので、台所の壁に昔取り付けた金属のアングルを取り外した。それだけ。
 昼食は、ワイフがラーメンを作ってくれた。感染症対策で、教室(サロンだけど)を臨時休業にしているので、ときどき昼食を作ってくれる。
 ルーチンと身辺雑務を終えて、執筆に復帰。ここ1週間は遅れている児童書をやることにしている。昨日、そろえていた資料を再読して、頭が戻った。今日は、第2章のストーリーを考える。児童書なので、時代考証の結果をたくさん盛り込む必要はなく、自然なストーリーを心がける。とはいえ、登場人物はほとんど実在の人なので、詳細データは必要になる。時には歴史書にも書かれていないことが気になる。今日、他愛もない発見があった。ある人物とある人物が結婚したのだが、歴史書を読んだだけでは気付かなかった。いとこ同士の結婚だった。小説の場合、それがごく自然なことだったように書かねばならない。
 今夜は少し早く午前3時に閉店し、入浴後、風呂掃除をした。明日は天気が好い。

3月9日(月)「感染症の拡大は続く・・・の風さん」
 午前4時就寝、11時起床。天気は快晴。ストレッチもし、車庫の上のボックスの日干しも仕掛けたところで、もう12時を過ぎてしまった。
 キャメロンで出動。マスクもちゃんとしているよ。窓口のあるUFJへ行き、その後、GSへ回って、今年最後になるかもしれない灯油を購入した。ホームセンターで探し物をしたがなかった。最後にJAへ行き、引き落としの申請を終えた。
 帰宅すると午後2時を過ぎている。それからようやく食事。トーストとホットミルクにゆで卵とバナナだ。これが朝昼兼用だから、きっとダイエットになる。
 ルーチンを終えてから、洗濯物の取り込みや窓閉め、日干しの片付けなど終えて、ドリップ式のコーヒーで一服。
 ここからやっとメールチェックだ。今週末出席をやめた親しい先生の最終講義、その代わりと言っては何だが、花キューピットからご自宅へ花を送った。先週選んだ花を送るつもりだったが、今日再チェックすると、やや小さかった。大きな花に変更した。あいかわらず新型コロナウィルス感染症の拡大は続いているので、年内の大きなイベント(セミナーなどの仕事)はすべて消滅するという覚悟が必要な気がしてきた。ワクチンができるまで、この感染症を巧みに避けていくしかないと思う。世界に拡散した今、国内だけで抑え込むのは無理だろう。
 今日、ネットで知ったのだが、フランスにはこういった事態のための法整備が既にできていたそうだ。悲惨な現場は中国で、スマートな法整備はフランスから学べばよかったわけだ。たとえば学校で感染者が出ると、学生から教職員まで全員無料で検査、現在はマスクなどは政府がすべて買い上げて一括管理、蔓延状態になると、自宅待機ではなく、全医療機関が感染者を受け入れて治療に当たることになっているらしい。日本は一つ一つ法整備からやっているので、後手に回っている。
 ワイフが帰宅し(こんなときにまた出かけていた。まあ、これは病気だろう)、ホットタイム。
 夜になり、そろそろ執筆再開なのだが、疲労が出てきた。体を休めつつ、雑務をこなしていく。深夜になり、雨も降り出した。ようやく執筆再開。同時に、 hairdye をすることに。ちっとも寒くない。

3月10日(火)「新築時の思い出・・・の風さん」
 午前6時就寝、12時起床。昨夜からの雨がまだ激しく降っていた。
 リビングの蛍光灯を掃除した。大型のシャンデリア形式のもので、掃除はやや大変。年に1回くらいしかできない。今日は慎重に掃除した。蛍光管への配線の仕方を見直した。以前、蛍光管を順に4つ交換したのだが、その時、下手な配線をしたために、点灯時に外部から影が見えていた。それを修正したのだ。完了して、点灯してみたら、新築直後の思い出がよみがえってきた。もう30年も前のことだ。広い屋内にほとんど何もなかった。スタートラインに立った気分。当時の家具や電気製品はほとんど残っていない。定年退職後、少しずつリフォームしていて、我が家は第二のフェーズ(子育てが終わって、親としての後半人生)に入っている。
 仕事は大変だったが、たいした運動量ではなかった。それでも、ワイフが昼食の準備をしてくれたので、一緒に食べた。
 2階へ上がり、ルーチンやわずかな雑務をこなした。このところ2階の片付けは停滞している。それでも、1日にA4の紙1枚でも捨てるように心がけてはいる。
 その後は、読書もし、順調に執筆モードに入った。
 新型コロナウィルス感染症の拡大は続いている。

3月11日(水)「忘れられない震災・・・の風さん」
 午前5時就寝、12時起床。震災から9年の日。人生50年とか還暦とかあるが、自分の大きな人生の節目の一つになっているのが、2011年のこの日だ。母が死んだのはその翌年だが、震災とタイミングを同じくして、母の重度の認知症が明らかになった。その時点で、それまでの母が普通でなかったことを知ると同時に、母を失ったも同然になった。震災と同時に介護が本格的に始まった。だから、震災の話題が出るたびに、あの介護の日を思い出す。毎月福島へ通ったあの日々を。
 今日は、台所へWebCameraを移動した。自動給餌機のCameraと2つオンラインにすることで、2か所のエサの減り具合がわかる。食欲旺盛な今は、必要性は減少したが、いざという時は役に立つ。備えあれば憂いなし、というわけだ。
 昼食後、とつぜん雨が降ってきた。天気予報にはなかったし、スマホでの最新情報にもなかった。車庫の上のボックス内を干していたので、びしょ濡れになってしまった。明日、やり直しだ。
 ルーチンに続いて、気になっていたメールを送った。2階の片付けも少し進めた。
 いつものように時間が経過し、夜の10時ころからやっと執筆再開となった。
 先ず先ず進んではいるが、このままでは不満が残りそうだったので、午前零時過ぎ、特殊雑務の一つ、台所にシーリングライトを一つ追加した。ここはソケットがあったのだが、照明器具がついていなかった。以前、気に入った機種を発見したので、購入しておいた。それをやっと設置したのだ。10分もかからなかった。
 震災の記憶が新型コロナウィルス感染症の記憶と置き換わりそうな雲行きである。
 その後も執筆を継続。

3月12日(木)「とつぜんの腰痛の陰で・・・の風さん」
 午前4時就寝、11時起床。普通にベッドで90回の腹筋運動をして……というのがいけなかったのか、朝から激しい腰痛である。90回の腹筋運動の中に、30回の腰のひねりが含まれている。腹筋と同時に、腰の筋肉も鍛えている。
 とは言っても、やれるところまでやれ、とばかりに朝の(昼の?)ルーチンをこなす。
 昨日濡れてしまった車庫の上のボックスを開けて、日射の盛んな屋上に展開した。
 しかし、どうにも腰が痛くて、ロキソニンのジェネリックスを服用し、とうとうコルセットも装着した。
 こうしておいて、書斎へ出動したら、なんと、執筆マシンが不調である。もう何度か発生しているIEが起動しないという問題だ。解決する可能性のある方法は複数あって、これまでうまくいった方法を順に試してみるのだが、手強い。
 腰痛で動けないにもかかわらず、イライラが募る。頭が来て、お爺さん歩きをしながら、2階の片付けを少ししたり、IEを使わないルーチン(たとえば日記の更新)をしたりして、問題解決を進めていく。
 とうとうシステムの復元までやってしまい、ようやくIEが使えるようになった。
 急いで、メールチェックをした。当然、返信もした。
 5月の名商大での講義が、Webを使ったライブ配信(恐らく双方向)になると連絡があった。そう来なくちゃ! 海南師範大学の親しい先生のところでは、新型コロナウィルス感染症の拡大と同時に、授業はすぐWeb方式になったそうだから、日本も学ばねばならない。
 ひと通りIEでやらねばならないことは済ませたので、ついにMicrosoftEdgeを導入することにした。執筆マシンはWindows10を嫌って(多くのソフトが動作しなくなることを恐れて)Windows8.1のままだったが、10でなく8.1でもEdgeが使えることが分かったので、インストールした。これから徐々にEdgeに切り替えていく(あ、そうそうFirefoxも使っていますよ)。
 その後、児童書の執筆を続けたが、腰痛は一向によくなる気配がなかった。腰にばかり神経が集中して、今日は花粉症を忘れていたような気がする。なんだ、花粉症って、単なる気の病?

3月13日(金)「腰痛とコロナ・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時半起床。腰痛がひどい。しかし、どうもこれは既往症の腰痛のような気がして来た。かつて本当に腰が痛くて、かかりつけの整形外科を受診した。ペダンチックで愚かな私は、兄や知人らがかかった腰痛を心配したのである。たとえば脊柱管狭窄症。しっかり検査してくれる整形外科医の下した結論は、腰の急激な筋肉疲労だった。痛み止めの注射と飲み薬そして湿布薬が処方されて終了した。あの時の再発のような気がしてきたのだ。
 昨日までの自主処方に加えて、湿布薬を追加した。直後、スーッとする感じは何なのか!
 腰痛を恐れる私は、腹筋と背筋の筋力低下を心配し、そのためのトレーニングを心がけている。もしかすると、それが老体にはちょっと度を越したものになったのか?
 いずれにせよ、昨日から運動不足でもあった。とりあえず、散歩をかねて投函に行ってきた。素晴らしい陽気だ。このまま春になって欲しい。
 先にいくつか重要メールを送ったあと、ルーチンに取り掛かった。
 新型コロナウィルス感染症の拡大が続いていなければ、今日から上京予定だった。ワイフにお願いしてあったちび助の病院に行くことになった。いつもよりだいぶ時刻は早い。行ってみると、病院はけっこう空いていた。外出を控えている人が多いのだろう。ちび助の体重は前回と同じだった。安定しているので、心配はない。点滴セットをさらに増やして処方してもらった。こんなに通院間隔があけられるのは、1年ぶりである。もっとも自宅点滴は毎日だが(笑)。
 湿布薬のおかげか、腰痛は少し耐えられるようになった。新型コロナウィルス感染症も、結果としてSARSやMARSよりも弱いウィルスだったということになればいいが……。イタリアは気の毒だ。
 今夜は執筆に専念できた。方針が決まっているので、安心して筆を進めることができる。

3月14日(土)「久しぶりの映画鑑賞・・・の風さん」
 午前6時就寝、午後2時起床。腰痛に耐えているだけで消耗しているらしい。普通に起床できなかった。
 朝の恒例のストレッチももちろん普通にはできず、幼児のように体を小刻みに動かすだけ(笑)。
 とにかく動きがスローモー(ション)だ。スローモーなんて、もう死語かもしれないな。それでも、腰痛は筋肉痛の部類に入りそうなので、ジェネリックのロキソニンの効果は期待できない。湿布薬を交換した。
 今週も首相の会見があった。相変わらず、国民を安心させようとする発言が中心だ。昔の政治はこういう形だったろう。基本的に国民を馬鹿にしているのだ。実際、トイレットペーパーの購入に走っている様を見れば、国民を馬鹿にしても仕方ないように思える。が、しかし、それは国民のマジョリティではない。過半数は冷静に状況を見ている。過半数の人たちに正しい情報とメッセージが必要だと思う。もちろん口だけでなく、裏ではちゃんんと最悪のシナリオをいくつも考えておき、時期が来たらすばやく選択・実行することだ。シナリオは当然、グローバル視点でなければならない。日本だけが蔓延しなくても、世界を見れば、どこかが悲惨な状況になる。ワクチンができるまで、つまり年内は、そういったことを前提に、施策を打たねばならない。それに類する発言はなかったと思う。
 夕食にワインが出た。前回開けたボトルの続きで、また3分の1を飲んだ。つまり、二人で3回でボトル1本が空くというゆっくりペース。それでも酔ってしまうのは間違いないので、酔い醒ましにDVDで映画を観た。中井貴一と阿部寛、広末涼子が出演している『柘榴坂の仇討』である。これは、5年ほど前に次女の慰問にドイツへ行ったとき、ルフトハンザの機内で観て感動し、帰国後購入してあったもの。その後、観る機会がなく、今夜やっと開封した。
 余計なセリフがなく、演技力で補って余りある。映像というかシーン、カットは美しく、所作は歌舞伎のようだ。日本の伝統舞台芸術が映画にも生かされた、といった感じ。この素晴らしさを文学で表現するためには、ハイレベルな文章力を要する。私に最も欠けているものだ。
 午前零時過ぎから、のろのろと、腰痛と相談しながら執筆を再開した。

3月15日(日)「腰痛とコロナ(続き)・・・の風さん」
 午前6時就寝、午後1時起床。昨日から痛み止めをやめて、湿布薬で処置している。それが少しずつ効いてきた感じがする。が、一難去ってまた一難。湿布薬を貼った周辺がかゆい(笑)。もともと肌が丈夫じゃないので、湿布薬というか昔流で言えば絆創膏みたいなものは、私にはあまり向いていない。生きる資格ないね(大げさな)。
 今月は多くのイベントが中止もしくは延期になっている。今日は、近畿和算ゼミの開催日だったし、もはや思い出のかなただが、新鷹会の勉強会の日だった。どちらも、新型コロナウィルス感染症のために急遽、中止になっている。勉強会について言えば、昭和20年8月15日、玉音放送が流れた日も開催していたというから、ウィルスの脅威は決してあなどってはいけない。ペストやコレラ、それどころか通常のインフルエンザよりも致死率が低いと平気で言う人がいる。問題は、まだワクチンが完成していない時点での感染症なのである。仮に致死率を1%だとして、1000万人が感染すれば、10万人が死ぬ。それ以前に医療現場の崩壊が起き、関連死も激増する。経済が混乱・低迷するのは言わずもがなだ。
 感染拡大を抑制する強力な施策と、それにともなう犠牲の補償のセットが最重要なのである(あとグローバル視点ね)。
 外出をひかえている時に腰痛は痛い(^_^;)。特殊雑務も大きなことができない。腰の万歩計の数値は半減している。
 わずかな読書と執筆の日々が続く。

3月16日(月)「執筆には有利な環境だが・・・の風さん」
 午前5時就寝、午後2時起床(笑)。湿布薬を貼らずに寝たせいではない。ろくに運動していないのに、腰をかばって疲労しているのだ。そろそろと起床。外は強風。窓は少ししか開けられない。
 すぐ食事。ワイフがラーメンを作ってくれた。トール教室が臨時休業中なので、こういうメリットがある(^_^)。
 ルーチンと雑務は軽いものだけ。元勤務先の企業年金基金のHP(のOB会のページに)にログインできないので、電話して尋ねたら、昨年から共通というか共有になったとのこと。IDとパスワードを教えてもらって、ログインできたが、セキュリティ情報はなくなったのか? 今時珍しい。
 あっという間に夕方のホットタイムになった。
 執筆再開。歴史作家の宿命かもしれないが、かなり詳しいつもりでも、いざ書き始めると、確認事項がぞろぞろ出てくる。調べていると楽しい。時間がどんどん経過する。原稿が進まないのは焦るが、こういった作業は性分に合っているのだな、と思う。親父の遺伝だろう。
 ちび助のケアもルーチンのうちだ。夜の点滴と深夜のサプリ投与は継続している。食欲があるので、安心だ。
 新型コロナウィルス感染症は、政府の鎖国政策と春休み強化で落ち着いている。しかし、欧州は悪化の一途。
 明朝というか就寝までに原稿を進めるぞ、と毎度の気合を入れつつ、夜は深々と更けていく。

3月17日(火)「少し明るく前向きに・・・の風さん」
 午前6時就寝、12時起床。もうこのペースというかライフスタイルは、生来の私の体内リズムに違いない。
 今日は朝から冷え込んで、日中もそれほど気温が上昇しないが、まずまずのお天気だ。
 腰は万全ではないが、もう痛み止めは服用していないし、コルセットもしまった。湿布薬も肌の問題もあってやめた。それでも、少しずつストレッチもできるようになってきたから、推定原因(腰の急性筋肉痛)は正しかったようだ。新型コロナウィルス感染症の拡大は続いているが(特に欧州)、外出をあまりしない今をチャンスととらえ、執筆を進めよう。
 ルーチンに続いて、少し雑用をする元気も出てきた。こんなことをここに書いても意味ないかもしれないが、まあ許してちょうだい。毎年やっている日めくりニャンコカレンダーに応募した。これまで一度も選ばれたことがない。しかし、応募メンバーに登録しておくと、カレンダーを一割引きくらいで購入できるので、ま、それが狙いかな(笑)。
 それから、5月のスケジュールに関して、久しぶりに準備をした。仙台で講演があるのを利用して、秋田まで足を伸ばそうというスケジュールだ。既に、早割り航空券は購入してある(変更不可でキャンセル時は費用が発生する)。仙台の講演がなくなれば、すべて消えるのだが、期待をしつつ、秋田のホテルを2件予約しておいた。定宿である。一か月前くらいになったら、レンタカーを予約するつもり。はたして感染症が落ち着くかどうか、予断は許せない。
 晩ご飯の時にまたワイフがワインを出した。3回目で1本が空になった。
 酔ってしまったので、執筆再開は午前零時過ぎになった。今夜は児童書の原稿を区切りの良いところまで完成させる。

3月18日(水)「春の彼岸の墓参・・・の風さん」
 午前6時半就寝、午後2時起床。今朝、区切りの良いところまで執筆が進んだこともあり、入浴後、風呂掃除もして就寝した。そういった疲れもあってか、まともな時刻には起きられなかった。
 こんな遅い時刻になったにもかかわらず、ワイフと食事ができた。何のことはない。ワイフも異常な時間に行動している(笑)。
 食後すぐ墓参に行った。明後日が春分の日なので、昨日から春の彼岸ということだ。ワイフによると、昨日からスーパーに花がほとんどない(売れてしまった)とのこと。デマによるトイレットペーパー消失は腹が立つが、これは次元が違う。日本もまだまだ捨てたもんじゃない、と頬がゆるむ。ちなみに、昨日が父、今日は母の月命日である。
 うららかな春の陽気の中、という表現がふさわしい気候の下、月例の墓参をし、墓地に隣接する花の公園を散歩した。これから桜が咲こうか、というタイミングだった。今年は、どこかあまり人の来ないところの桜を見るのが良さそうだ。
 帰宅し、未明にできた原稿を送付できる書式に編集して、メール送付した。久しぶりの達成感を味わった。
 晩ご飯後、ニュースで新型コロナウィルス感染症の状況を把握した。ほとんどネットで情報は多面的に入手しているので、ニュース番組の内容は貧弱だ。こんなことでは、テレビの将来は暗いぜ。
 書斎の机を片付けながら、雑務を中心に身辺整理というか、気持ちを軽くして、次の執筆に備えた。

3月19日(木)「腰痛再発?・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時起床。外は晴れ。やや早く起床できたので、今日は頑張るぞ、と朝(?)から気合が入った。
 ストレッチのメニューを半減しつつも復活させた。
 JP分局へ行き、郵便物を出した。ゆうメールが安いとのことで、それで出した。次にJAへ行き、生活費をおろしてきた。
 食事を遅くするため、廃棄予定のVHSビデオを1本視ることにした。昔観たNHKのプロジェクトXである。良い回だったので、録画してあったような気がして、視聴してから廃棄することにしてあった。
 ところが、視聴中に異変が……。腰が痛いのである。どういう姿勢をとってもどんどん痛くなる。それでもビデオは最後まで観た。観た記憶も戻ったが、廃棄の決心はついた。しかし、腰が痛い。
 ルーチンは先に終えておいたので、横になることにした。ただし、リビングで。そしてまた、廃棄するかどうかで気になっていた長男の漫画本の一つを、苦痛に耐えながら読んだ。ビデオと同様に最後まで読み通した。廃棄に決定した。結論を出したのは良いが、腰痛は全く治らない。
 とうとう、コルセットをし、ジェネリックのロキソニンまで服用する事態に……。数日前までの、腰の筋肉痛と明らかに痛いところが違うのだ。本当の腰痛みたいだった。今朝のストレッチがいけなかったのか。それともキャメロンでの外出が行けなかったのか(乗車姿勢がやや苦しかった)。新型コロナウィルス感染症のイタリアは気の毒だ。日本から支援は送らないのか。
 コルセットとロキソニンのお蔭で、だんだん楽になってきた。
 午前零時過ぎから長編の執筆再開態勢に入ったが、今夜は少し早めに就寝することにした。

3月20日(金)「暦の記載を解明・・・の風さん」
 午前4時就寝、11時起床。腰痛は悪化していない。今日は、コルセットだけで過ごせないだろうか。
 トール教室は休みでも、ワイフの友人がやって来る。出かけたので、私も必要な買い物に恐る恐る出動した。コロナが恐怖ではない。備えは十分だ。ドラッグストアへ行って30分ほどで帰って来る予定。恐怖は腰痛の再悪化だ。
 春分の日で、世の中は祝日。感染症陽性者は、私の住居地に隣接する北の自治体まで南下してきたが、当地はまだない。それが理由でもないだろうが、観光客は来ている。道路のクルマの数も多い。
 ドラッグストアで薬だけ、リストアップしてあったものを買って来た。次回は薬以外に絞る。家計簿というか帳簿の記入のことを考えて、今年から工夫することにした(現実としては、確定申告時に医療費と薬代を計算しやすくするもの。今年は、両方合わせても10万円をわずかに切ってしまったが)。
 帰宅してから、遅い食事。生活リズムを夜型に変更してから一日2食なので、ダイエット効果もある。
 昨日に続いて、処分を前提にVHSビデオを1本チェックしたら、友人が出演していた。そうか。これは彼からもらったビデオだったのか。彼が必要なら返却しよう。
 ルーチンと2階の片付けを少しだけした。
 今夜も長編執筆再開2日目ということで、気合を入れて始めたが、やっているうちに、また気になることが生じて、どんどんはまってしまった。結論だけシンプルに書くと、『会津暦』の精度確認をやったのだ。これまで疑問というか推定の域を出ていなかった部分を、詳細にシミュレーションし、電卓で計算して、太陰太陽暦(基本は『天保暦』の計算結果)の記載を確認できた。

3月21日(土)「暦とコロナ・・・の風さん」
 午前6時就寝、12時起床。
 昨夜からの続きで、『天保暦』(現代では『高島暦』がこれで計算してあるはず。私のスマホにもそのアプリが入っている)の検証をした。『会津暦』だけでなく、『仙台暦』『江戸暦』『京都暦』の記載も同じことを、慶応四年(一八六八)八月三日の秋分について、確認した。秋分点(秋分中気となる黄経180度の時刻)、日の出、日の入り時刻から、昼夜の時間も。天文シミュレータとの誤差が比較的小さいことも確認した。浅草司天台(浅草暦局)での計算結果で、基準点は京都のはずなので、天文シミュレータでも、台東区、京都、会津若松、仙台さらに現代の標準時である明石市にも設定して、調べてみた。天文方の計算が京都なので、京都に設定したときのシミュレータ結果と最も良く一致しているかと思ったが、そうではなかった(笑)。ちなみに、『天保暦』には、明け六つ(日の出のおよそ30分前)と暮れ六つ(日の入りのおよそ30分後)を基準にしたときの昼夜の時間も記載されている。
 新型コロナウィルス感染症について、家庭内でワイフに向かってギャーギャー(新聞やテレビの報道が、グローバル視点や謙虚さに欠けていることを批判)言っているが、今日、気分がスカッとする情報発信を見た。「山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信」というHP( https://www.covid19-yamanaka.com/index.html )である。この中の「エビデンスの強さごとに見る新型コロナウィルス」や「論文から見る新型コロナウィルス」は、この未知な部分が多い新型コロナウィルスに対する、山中先生らしい、確からしさで層別した情報を提供している。たとえば、先生がチェックした論文の一つでは、「新型コロナウィルスは、エアロゾル内で数時間、プラスチックやステンレスの表面では1日以上生存する」とある。このことは、単純な濃厚接触だけを防げば良いのではないことを具体的に示している。この情報をワイフに伝えたら、夕方の買い物でスーパーへ行って帰った時、早速報告があった。「スーパーの入り口でアルコール手洗いをしただけでなく、買い物を終えてスーパーから出るとき、またアルコール手洗いをした。だって、店内で使ったカゴとかさわったから」これこそ、山中先生効果と言うべきであろう。施設に入るとき、ハンドウォッシュで手洗いをしている光景がよく見られるが、漫然とやっては効果はないのである。施設内で何かに触れたとき(危険なのはトイレのドアのノブ、階段の手すりなど)、その手で自分の顔などに触らないことと、施設を出る時にまたアルコール入りハンドウォッシュで手洗いをするべきなのだ。
 今回の状況は、2009年の新型インフルエンザを踏まえて対策が練られていて、それに基づいてほぼ忠実に施策が打たれていることも知った。昨年2019年5月のNHKの「おうちで学ぼう!」の中で、中村幸司さんという解説委員が具体的に書いていた。HP http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/319587.html これを読むと、日本はまだ途中だが、油断すると国内が容易にパンデミック状態になりかねないことが分かる。

3月22日(日)「エンジニアの本領・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時起床。穏やかな陽気だ。スマホで今日の天気をチェックすると、名古屋は午後から雨だが、当地は降らない。少し屋外作業をやっておこう。
 やや迷信に近い可能性もあるが、エアコンの排水管からチビゴキが侵入するという話がある。とりあえず安物のネットを巻いて、ナイロンひもでしばってみた。今日は6台実施した。排水管が見付からない箇所と、劣化していてボロボロになっている箇所は、やめた。まだやることがある。
 裏の土地へ上がる階段の上部に自分で設置したセンサーライトがある。破損していたので、洗って再設置した。電池はまだ使えるレベルであることをテスターで確認した。家の北側の壁に設置してあるセンサーライトも、近いうちに電池のチェックが必要だ。
 次女の部屋の掛け時計は、以前苦労して再生したものだ。中国から部品を2回輸入した。1回目のムーブメントと2回目の時分秒針セットで構成されている。秒針が無音で連続的に動くのが気に入っていた。その掛け時計が先月来停止していた。あれこれいじってみると、動きが悪い。抵抗が大きい。そこで、先日購入した鍵専用潤滑剤を使うことにした。鍵専用潤滑剤は、油分が残らないように工夫してある。一般にシリコン系かボロン系らしい。私のはボロン系である。樹脂や木材にも使えるようだ。これで、ムーブメント内の歯車の動きをスムーズにすることにした。
 昨年、何度も分解と組立を繰り返したが、ムーブメントの分解は初めてである。安価な中国製なので、筐体(きょうたい:ケースのこと)は、パチンポン構造(爪を引っ掛けて止める。ネジや接着剤は使わない)ある。小型マイナスドライバーを使って、うまく分解できた・・・・・・が、多数の歯車の軸受けは上下のケースに成型してあるため、内部部品が一部バラバラに(笑)。潤滑剤をスプレーしたら、その勢いでさらにバラバラに(笑)。揮発成分が飛んだ後、再組立に取り掛かったが、減衰を繰り返す歯車の組み合わせがどうなっているのか、なかなか分からなかった。単相ステップモーターによって高速回転(秒針がスイープタイプなので)する磁石の回転を次の歯車に伝達する小さな歯車が内部に落下していて、透明だったため、見落としていた。さらに、手回しで時分針を回転させる機構とのはめ合いもあり、虫メガネで拡大観察しながらの作業になった。
 時計本体に装着する前に、ムーブメントに時分秒針を取り付け、電池をセットして、動きをチェックした。どうやら大丈夫そうだと自信を深めたので、本体に組み付けて、完成した。晩ご飯をはさんでの作業だったが、時計のからくり(機構)についても、執筆のためにずい分勉強したので(『星空に魅せられた男 間重富』の垂揺球儀)、エンジニア(専門は機械工学)としての基本を元にして、仕事を完了させることができた。亡くなられた近江時計博物館の北条先生(時計師)にも感謝。

3月23日(月)「算額の問題を解こうとしたら・・・の風さん」
 午前5時就寝、正午起床。腰痛が再発していて、コルセットで対応している。
 とにかく雑務は片付けておかないと……。キャメロンで外出。
 駅近くのUFJのATMへ行ったら、行列。当地は、三河湾側と伊勢湾それぞれに1か所しかない。人口減少の影響だ。不便さが進行し、住民は減っていく。『Wedge』によると、全国の転出の動きを分析したところ、働き盛りの女性が、地方から県庁所在地へ、県庁所在地から東京へと向かっているそうだ。
 百均ショップからホームセンターへ。買い物を終えて、田舎道を爆走して帰宅する途中、腰の痛みはともなく、キャメロンの天井からボルトが落下してきた。振動が激しいからね。
 裏の土地で、ぬかるみ防止の砂利を敷き、落下したボルトを探してシートの下に手を突っ込んで切ってしまった。出血したので、屋内へ直行し、アルコール入りハンドウォッシュで手洗いした後、消毒し、バンドエイドを貼った。
 遅い食事後、ルーチンと屋内片付け。
 執筆は深夜スタート。リアリティを増すため、算額の問題をまた使うことにしたのだが、初めて、自分で解いてみることにした。すると、やや疑問が湧いて来た。仕方なくパソコンで問題文の通りに図形を描こうとしたら、成立しなかった。問題文の設定がおかしかったのだ。これを正しく修正することは、今回の主旨に反するので、それは後日の課題にしておいて、作品の中でどう扱うかが問題だった。しかし、予定より遅い時刻まで没頭してしまったので、ここで中断することにした。
 入浴から就寝までの間、ずっと考えて、一つのアイデアが浮かんだ。当初の狙いには適合する。

3月24日(火)「屋外作業・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時起床。晴れているが、風が強い。
 ドラッグストアへ買い物に行き、薬以外の物をまとめ買い。今日はトクホンチールを塗ってきたが、腰が痛い。
 帰宅してすぐ屋外作業。家の周囲と裏の土地の周囲に除草剤を散布した。家の周囲は今後も除草剤だけで済むが、裏の土地は、電動草刈り機との組み合わせになる。防草シートはもう少し張っておきたい。
 住居の床下換気口のサイズを測った。最近の住宅は、一戸建てでも換気口がないらしい。我が家は旧型なのである。おまけに鉄格子タイプで、ゴキの出入口になっている。後から作ったサンルームの換気口は、ステンレス製でメッシュが入っているので、ゴキの出入りはできない。そこで、鉄格子の換気口にステンレス製のメッシュタイプを装着しようというのが、アイデアである。問題は、寸法が適合するかどうかだ。
 この問題は、やはり難関で、ピッタリサイズのものは存在しなかった。さて、どうしたものか、また悩むことになる。
 やや遅くなったが、ワイフが名古屋めし(あんかけスパゲティ)の昼食を作ってくれたので、一緒に食べた。
 その後、ルーチンと2階の片付け。
 東京五輪が来年に延期になった。今年の開催が困難なことはとっくに分かっていた。仮に1年後に延期になるにしても、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるっている間、選手たちは練習や予選ができないので、なかなか厳しいスケジュールになるのではないか。現代はハイレベルの戦いが望まれているが、もともとオリンピックは平和の祭典であり、参加することに意義があるのであって、勝負は二の次のはずだった。商業資本とくっついてしまったので、見世物、興業になっている面がある。
 執筆はまた深夜になってしまった。

3月25日(水)「田舎に暮らす幸運・・・の風さん」
 午前5時就寝、正午起床。あ、腰が楽になっている。不思議だ。トクホンチールが効き出したのか。
 今日は雑務は最小限の一つだけにする。ネットで選んだ最も拙宅に近い床下換気口のサイズにボール紙をカットして、実際の換気口に当ててみた。残念ながら、うまくフィットしない。この実験結果から、ステンレス製のメッシュで自作するしかないという結論になった。
 ワイフが買って来た授産施設のパンで食事を終え、執筆を再開した。昨日からようやく筆が乗り出したのだ。いいぞ。
 ホットタイムはなしで夕方になり、久しぶりにちび助の病院へ行った。好調さを証明するように、今日も体重が微増だった。無理なく体重が増えている感じだ。次回は2週間後である。
 帰宅し、晩ご飯を食べ、ニュースを観た。東京都のコロナ感染が危険信号である。北海道が一時、非常事態だったが、東京都の場合は、北海道よりはるかに難物である。人口密度が高く、その絶対数の内訳は、都民だけでなく、周辺からの通勤通学人口が多い。そして、移動手段が網の目状になっている。つまり、人で埋め尽くされているのだ。関東地方全体を外部から遮断し、内部は、外出規制して、人の動きを止めるしかなくなる。その準備まで、もうあまり時間はない。
 再び、書斎に戻り、田舎にいる幸運者の私は、執筆を頑張るしかない。田舎は、自給自足に向いている。

3月26日(木)「長男の様子見・・・の風さん」
 午前3時半就寝、8時起床。先週から、ワイフが京都で暮らす長男の様子を直接確認したいと言うので(年末年始も、確定申告も帰省しなかった)、今日出かけることになった。いつもの私の起床時刻では遅すぎるので、やや早起きになったが、就寝時刻をそれに合わせられなかったのは、執筆が進んでいたからだ。
 予定通りの9時、寝不足の私を気遣ってくれたワイフの運転で出発した。行楽気分ではないが、快晴で、風もほとんどなく、やや暑くなりそうなことぐらいが心配な陽気だった。
 伊勢湾岸から新名神に入り、朝ドラ「スカーレット」の舞台にも近い(?)土山SAにピットインし、コーヒーブレイク後、運転を交代した。とたんに工事渋滞にはまってしまい、眠気が襲ってきた。緊迫した危機の中にいる時が、自分の存在価値を発揮できるタイプなので、かったるい環境は不得手である(^_^;)。
 これまた予定通り、名神の大津SAで軽食ランチとなった。春休み中とはいえ、一般的には平日だ。子どもの外出は自粛するように言われている。高速道を利用しているのは、ほとんど大型貨物で、SAの客数も少ない。とは言え、大津SAは思い出深い。退社した6年前、やはり長男の様子見と花見を兼ねて、ワイフと京都へ向かった。晴れた空の下、琵琶湖を眺めながら、次の出社予定日のない、のびやかな気分を34年ぶりに経験した。あの解放感が忘れられない。それ以前にしても、学生だったので、次の出校予定日があったのだから、人生で初めて経験する、スケジュール的に拘束されていない生活の始まりだった。
 長男に会う前に、嵐山へ行きたいというワイフの希望に応えて、京都東インターで下り、渡月橋近辺を目指して一般道を走った。渡月橋近辺は観光スポットだが、観光で訪れたことはこれまで一度もない。吉田光由(角倉一族)の取材や調査では、何度も来ている。渡月橋近くのパーキングにアクアをとめ、徒歩で渡月橋に向かったが、観光客の多さに驚いた。ほとんど日本人でこれだ。平日なのに若者が多い、特にカップル。SAでもそうだったが、マスクをしている人はまれだ。渡月橋を渡りながら、2013年の豪雨で、この橋を越える水位となり、近隣が洪水になったことも知らないだろう。新型コロナウィルス感染症の爆発的感染が日本に訪れる日も近いと思った。今日は止むを得ずここへ来ているが、帰宅したら、また人の多い所へ出かけるのは慎まねばならない。観光としては、天龍寺に初めて行った。見ごろの枝垂れ柳以外にも花がたくさん咲いていて、感動した。
 まだ日は暮れていなかったが、長男のアパートへ向かい、ピックアップして、近くのファミレスへ行った。近況を確認した。とりあえず感染症にはなっていないこと、気を付けているらしいこと、万が一の時は、こちらからも駆けつけるし、戻って来てもいいことなどを確認した。ワイフは母親なので、思考は母親感情が支配していて(つまり簡単に振り込み詐欺に合う可能性大)、それでも不安だろうが、私の不安はそれを超越していて、万が一私がポックリ死んだら、ワイフ(つまり長男にとって母親)の面倒を見てくれと言っておいた。これは真剣で、冗談ではまったくない。会話中、WebCameraでちび助の餌箱の監視状態をチェックしたら、運良く、ちび助がやって来て、カリカリを元気に食べる様子を長男に見せることができた赤外線カメラなので、真っ暗でもしっかり見えるのである。
 ある意味安堵した私は、晩ご飯をしっかり食べ、帰りの運転もまったく問題なかった。
 予定よりやや遅い10時半に帰宅し、ちゃんとちび助の点滴やサプリの投与もやり、さらにAmazonprimeでシュワちゃんの「ターミネーター:新起動/ジェネシス」まで鑑賞した(ワイフは横で爆睡)。高齢となったシュワちゃんを巧みに生かしたストーリーだったので、クリエイターの一人として感心したが、天に唾するように、凝り過ぎとも思った(笑)。
 ワイフより先に入浴して、就寝した。久しぶりのことだ。

3月27日(金)「不要不急・・・の風さん」
 昨日やや無理したせいか、また腰が痛い(以前ほどではないが)。天気も雨模様なのに、花粉症が出ている。特に目がかゆい。
 親として、子の様子が心配で見に行ったのだが、相対的に判断すれば、当家の心配は世間レベルを下回っている。ただ、現実問題として、ワイフに歩調を合わせる必要もあった。まるで政治家のような判断だが、いちおう無事に帰宅できたのは良かった。問題はこれからで、どこからもウィルスをもらってこなかったことを祈りつつ、経過を見なければならない。 
 世界に目を向ければ、新型コロナウィルス感染症が、とんでもなく危険だということは明らかだ。治療法が確立できていないために、先進国といえども、それに対応する社会システムを持っていないからだ。中国の例を見れば、いったん医療崩壊し、すさまじい対策が打たれ(民主主義国ではできないことを含む)、やっと今の状態になっているのだ。あれだけのことを短期間にやれている国は、現在はないと思う。日本はひたすら時間稼ぎをしている状態だ。社会システムの再構築に間に合うか、ワクチンの開発ができるまでに、感染爆発が起きずにすめば、超ラッキーかもしれない。
 今夜のテレビで、山中先生がインタビューに応えていた。自分の名誉を犠牲にしてでも、危険性を訴えたいという勇気に頭が下がる。先生の考えでは、事態の沈静化まではまだ1年くらいかかる、そのつもりで対応と準備をしていくべきだとのことである。私などは恵まれている。自宅を仕事場にしている作家なのだから。そういう意味でも、人ごみの中へ飛び込んで行ってはいけないのだ。不要不急だからだ。どうしても、そういったところで働かねばならない人はたくさんいる。彼らの邪魔をしてはいけない。

3月28日(土)「腰痛と相談しながら・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時半起床。腰痛は昨日よりいくらかマシになった感じで起きた。
 ワイフのトール教室が厳戒態勢の中で再開した。
 起床後のストレッチをしてみたが、動かない。やはりまだ何か変だ。ちび助の様子はどうかと見ると、ソファのカバーの中にもぐって寝ている。エサ皿の中も心なしか、あまり減っていない感じだ。自分の調子が悪いとちび助も調子が悪いのではないかと不安になる。
 とりあえずルーチンをしてから、遅い食事。トーストとホットミルクに加えて、ゆで卵とバナナ1本。
 身辺整理では、未読の雑誌を少しずつ処理している。いちおう気になる記事だけ目を通す。そして、さらに保存価値がありそうなら、スキャナーで読み込んでPDF資料にしておく。今日も、1本だけ、そうやって残し、雑誌は廃棄箱へ。
 ここで腰痛がまた出てきたので、階下へ降りて、ちび助の様子を再チェック。おっ! 出てきて、エサを食べている。元気らしい。しかし、私はダメ。リビングでしばらく横になることにした。
 夕方、ワイフの教室が終わったので、一緒に近所の最近貰い物が多いうちへ行き、京都土産を渡して来た。これで少し気が楽になった。我が家は貰い物が多いのだが、なかなかお返しができないので困る。遠くへ行ったときにお土産を買ってくるぐらいしかできない。
 また、リビングで横になった。ワイフがテレビをつけると、新型コロナウィルス感染症のニュースをやっていた。東京都が大ピンチだが、やっと警告を聞いて人出が減ったらしい。商売する側も、土日は閉店して協力しているところが多い。こういうところは、あとで勲章を贈ったっていい。東京は明日へかけて雪かみぞれになるらしい。明日の人出はさらに減るだろう。
 晩ご飯の後、ようやく腰が楽になってきたので、執筆を再開した。

3月29日(日)「ウォーキング・・・の風さん」
 午前6時就寝、正午起床。今朝は、最後は雑務を処理して閉店にした。
 起床してすぐiPhoneで東京銀座のライブ映像を見たら、降ってる降ってる、しっかり雪が降っている。毎年のように異常気象というか自然災害が続いているが、この程度なら楽しいな。近年の大災害とコロナウィルスに比べたら。
 当地は晴天だ。相変わらず、体が動かない。と言うか、腰が痛いので、無理ができない。それでも、ゆるいストレッチをしてから、軽い雑務(片付け)をこなし、遅い食事。ワイフも真似をした(笑)。
 腰をかばいながら、書斎へ行き、メールチェックなどをした。
 ワイフの提案で、ウォーキングに出発。腰痛でも歩くくらいはできる。
 前回のウォーキングで見た太陽光発電建設現場を通ったら、ほとんど完成していた。かなり規模が大きく、崖というか斜面に展開しているので、豪雨の時の土砂崩れが心配だ。業者に義理はないから、心配してやる必要はないのだが。
 海岸までたどり着き、しばらく海岸線を歩いた。風が吹いているのに、小型風力発電の羽が止まっている。地元で反対運動が起こった発電だが、2基共なぜか停止中。稼働していたら、iPhoneを操作して、有害な電磁波が出ていないかチェックできたのだが。とにかく、国の法律には違反しておらず、町の条例化も骨抜きになっているので、やはり実害として何があるのか、地元住民の一人として知っておきたかった。
 約6千歩のウォーキングを終えて帰宅。すぐにホットタイム。昨日はできなかった。途中のスーパーで買って来た大あんまきがおやつになった(笑)。ウォーキング後も腰の状態に変化がないが、今日は筋肉痛でなく、本当に腰が痛い。ロキソニンのジェネリックを服用してみた。
 じっと座っていると、腰には良くないので、2階の片付けをしてみた。だんだん腰が楽になっていった。ロキソニンが効いたということは、今日の腰痛は本物かも。
 しかし、腰が楽になったので、晩ご飯後、執筆を再開することができた。

3月30日(月)「危機的状態が回避されるか・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時起床。今朝も、最後は雑務を処理して閉店にした。二日続けて、最後が雑務になったのは、執筆が壁にぶつかったからで、何もせずにだらだらと時間が過ぎるくらいなら、雑務を進めておいて、明日にかけようと思った。
 昼前に地元の団体のセミナー担当から電話があった。半月後に迫ったセミナーをどうするかの連絡だった。はたして、状況が状況だけに申込数は少ない。4月に入って、出張届けを出せば「名古屋まで出て行かない方がいい」と、私が上司だったら助言する。会社から感染者は出したくない。そういったことを考えると、セミナー参加者はさらに減ってしまう。既に、そういった事態が他のセミナーでも起きているとのことだったから、私もやめるべきではないかと言った。担当者は「延期」ということで、中止とはしないようにすると言った。難しい選択だが、同意した。
 今日は腰痛がおさまっていたので、軽くストレッチしてから投函に行こうとした。が、外は雨がぽつぽつ降っていたので、やめておいた。こうなったら、屋内の雑務をしようと思い、かねて考えていた居間の電話の位置を少し横へ移動させ、電源コードの配線カバーを黒からクリーム色に取り替えた。見栄えが良くなった。
 特殊雑務はこれで終わりとし、遅い食事にした。いつものメニューで、バナナの代わりにリンゴ煮だった。
 昨夜遅く、志村けんが新型コロナウィルス感染症による肺炎で死亡していた。重症化して死亡する条件にピッタリだったので、危ないと思っていた。超有名人の衝撃の死亡だが、彼の死により、何万人という日本人の命が救われる気がする。多くの若者が、自らの行動を律するようになると思うからだ。合掌。
 今日は早めに執筆を再開した。

3月31日(火)「危機感は変わらない・・・の風さん」
 午前5時就寝、11時半起床。昨日に続いて、腰が楽になっている。何が効いているのか分からない。昨日はコルセットとトクホンチールの筋肉部塗布だけだった。今日も同じでいこう。
 天気がぐずついていて、屋外作業ができない。今日は引きこもりかと思ったら、ワイフからピザを食べに行こうという提案があった。おごってもらおうと思った私は即賛成(^_^)。出かける前に、ちび助の伸び過ぎた爪を2本カットした。これにより、ついに歩くときのカツカツ音がなくなった。ガリガリになったのが原因で、肉球が痩せてしまい、歩くと犬のような音がしていたのだ。これでようやく猫に戻った感じ。めでたし、めでたし。
 行きつけのピザレストランは、平日で天気もイマイチなのに、先客が何組もいた。窓を少しずつ開けているのは、コロナ対策である。腰痛がおさまっているので、今日は食欲が旺盛だった。パン以外は平らげた。ごちそうさま。
 そこから買い物に行った。便乗していくつか買ってもらった。
 帰宅してすぐ、アクアのナビの地図データの更新作業をやった。来年まで無料でダウンロードできる。我が家のWi-Fiとつないだのだが、外なので電波が弱く、20か月分をダウンロードするのに小一時間かかってしまった。
 それからおやつタイムにした。
 新型コロナウィルス感染症の患者発生ペースが上がっている。欧米に比べたら断然良いのだが、いつ爆発するか分からない状況ではある。志村けんの死をきっかけに、ヒカキンさんも若者へ向かってメッセージを発信してくれているが、若者の意識が変わるという期待があるので、もしかすると最悪の状態にはならないのではないか。そうなれば、あとは経済対策だ。多面的に手厚く打つべきだ。
 夜は執筆。

2020年4月はここ

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